日蓮宗本光寺



 

紹介 野田喜左衛門は江戸時代前期の、この地の新田開発者で、飯山藩松平遠江守に召しだされ、生涯にわたって水田事業に携わり、高水三郡、他の不毛の地に水を引き肥沃の水田を開き、藩の石高を大きく増やした。
経歴 寛永7年(1630)兵庫県 姫路市に生まれる。通称 徳右衛門。20才のとき、松代藩主真田勘解由に仕えたが、後、万治元年、28才のとき飯山藩主松平遠江守に普請奉行として召され、生涯当藩に尽くした。
元禄8年5月12日(1696)病を得て当藩内にて死去した。墓地は当山にある。
事歴 氏は、当藩領地内を見廻っているうちに、たまたま柳原村の肥沃の地に着目し、その水源を求めているうちに山頂の池の豊富な水が越後の方に流れ去るのを見て、隧道を掘ることを考え、藩侯より許しを得て、苦労の末28キロにも及ぶ大工事を完成し、下流に当たる南条地区を中心に数十町歩の新田を開いた。
それ以来、生涯に渉って藩内(高水3郡とその周辺)の各地の不毛の地に灌漑工事を施し、新田開発事業を行い、藩の財政面(禄高)で大いに貢献した。
業績 灌漑工事(水田開発事業) =主なもの=
※上水内郡    三水・柏原・神郷              6里28町
※下水内郡    豊井・秋津・岡山・大田・常盤・柳原  14里48町         ※下高井郡    木島平・野沢                 4里18町   など
        灌漑工事総延長  約30里 (120キロメートル)
付記
  • 熱心な日蓮宗の信者で、常に守護神としての「七面大明神」のご加護を仰ぎ、そのお力でこの事業を完遂させたと言われている。
  • 現在でも、「南無七面大明神 元禄6年3月13日 願主野田喜左衛門正満」の碑が2箇所残ってる。(上水内郡 神郷村 下高井郡 野沢温泉村) その他、いくつかの碑が建てられている。
  • 昭和19年11月11日 従五位下贈 翌12日 当山で県知事ご来臨の上、250遠忌法要を営む。
  • 現中野市 赤塩地区に生廟があり、今でも氏の徳を讃えて盛大な法要を営んでいる。


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